教会と牧師の紹介

TLCCC船橋キリスト教会について


船橋キリスト教会のトレードマーク

このページは牧師と教会を紹介するところです。

ケパ牧師って?


「ケパ」って変な名前でしょう?「ケッパ」とか「カッパ」とは呼ばないでください(^_^;)。
これははっきりしませんが、ペテロが使徒の働きを主にするようになってからの名前ではないか?と。
そしてその時代のケパは、いつも行くところ妻を伴っていたようです・・・・・これがペテロからケパへ改名した決定打かも。 ロバート・キャパっていう写真家、ご存知ですか?実は彼もケパという名前です。

ところでケパ牧師は二十歳の時に学生運動で挫折。砕かれて十五歳の時から懸案だったバプテスマを受けました。親から禁じられていましたので、勘当され、大学を中退しなければいけないかと思いましたが、意外に仕送りは絶えませんでした。あとで分かったことですが、耶蘇禁止とは言いつつ、私の生い立ち、性分を知る親は、半ば予期し覚悟していたようです。
では、洗礼を受けるまではどうだったかというと、十三才の時に私立中学の寄宿舎で読んだ一冊の本<狭き門>から。消灯を過ぎていたので布団の中で照らして読んでいた。
ジッドは「背徳者」を書いた反キリスト教の作家です。「狭き門」も従姉妹二人との三角関係に、なまじっか信仰を挟んだために人生が翻弄される、信仰の空虚さがテーマです。その本の一節、礼拝の中で主人公ジェロームがアリサへの人間的な愛の萌えを、神との愛に絡ませるところから、人格と愛のこの神が「私の神様!」だと分かったのだから面白い。
それまでの私の環境は家族親類はもちろん、キリスト教とか教会などは無縁の全くゼロ世界です。広島県の西半分は安芸の国と言い、加賀の一向宗と並んで安芸門徒と呼ばれる浄土真宗王国です。そんな所ですから、今でもそうですが、真宗寺は町のあちこちにごろごろあっても、キリスト教関係のものは一切と言っていいほどありません。半径20キロ以内に教会というものがありません。福音から見放されたようなところでもあります。
しかし神はどんな環境や時代であっても、このような福音が全く伝わっていない所からでも、ご自分を信じる者を起こすことがおできになれます。神に不可能はありません。私がそうです。私は誰からも、ラジオや新聞などのメディアからだってさえ、キリスト教の「キ」の字を聞いたことが一度たりとも有りません。伝道されたことがないのです。それでも神はこの町から、小さな子どもの心に、父を知らぬ子が父を慕い求めるように、こころと思いにご自身を現され、信じる者を起こされるのです。

広島県西半分の旧国名「安芸」。安芸高田市が私の町

後日談ですが、亡くなった父が私がクリスチャンになって数年した生前、思い出したように私に言ったことがあります。私が七歳の頃、父が神棚と仏壇の両方にお供えものをし、それぞれに手を合わせて拝していると、突然抗議したと言うのです。「そんなにあちこちの神様を拝むのはおかしい」と。

・・・・二十歳で洗礼を受けてからは、日曜日は教会を絶対休まない、熱心なクリスチャンに変貌。
・・・・大学を卒業後、帰広し、3年ほど会社員をした後、公立小学校の教師を30年前後しました。

クリスチャンの妻を迎え、日曜日には娘たちと一家四人そろって教会に行く、そんな人生を40才までしてました。
自分で言うのも変ですが、大きめの教会の執事に長く推され、典型的なクリスチャンホームを築いていたかと・・・・。

私の人生は結婚してから14年ごとに大きく三つに分かれます。最初の転機は結婚後14年経った41才の時。
妻が摂食障害を発病、召天までの14年間、入退院の繰り返し、暗い地の底へのジェットコースターのような生活になりました。
1年ぐらい迷ったのち、行き着いたカウンセリング教室で、私は妻が精神の病であることを確信し、一人で紹介された病院へ行きました。
話を聞いた、医師はこう答えてくれました。「唯一可能性のある母親を失い、発病した四十代の患者が治った例を、私は知りません」
「それはどういう意味でしょうか?」「・・・・・」「何らかの形で、みな死んでいるという意味ですか?」、医師は肯いた。

霊的な面がまったく分からなかった私は、医師の言葉を払いのけながら、その後懸命に戦ったと思います。しかし病に翻弄され続け、
入退院を何度も繰り返し、最終的には病院からも見放されるようになって、かなりおかしくなりました。希望というものを、徐々に、
徐々に失っていったのです。あの時、教会やテニスの仲間の助けが無かったらと思うと、本当にぞっとします。これも神の助けでした。

十年近く経った頃は、病院との関係は絶たれ、救急にお世話になったり、もはや回復は望めない事実の前に立ちすくむようになりました。
ぎりぎりの精神状態でいつも辞表をポケットにしながら、神を信じる者として最後は、神と聖書に望みをかけるようになりました。「いやし」が聖書には記述されてあり、それは「もう無い、終わった」などとは書いてないのです。医療も、現実にも望みがないのであれば、やはりクリスチャンとして、神だけが最後の希望でした。

聖書は、障害であろうと精神の病であろうと「癒やし」の奇跡に満ちていました。それがあの時代だけのものとは、どこにも記述は無い。
「神を信じる私たちが、この恵みにあずかれない、癒やされないのであるなら、うん何十年かのキリスト教信仰は、力のない神であり、
信仰は全く無意味だった」、そう思うようになりました。ですから信仰を賭けて、実際「癒やし」を求めるように変えられました。
そうなると当然、「聖霊」「聖霊のバプテスマ」「聖霊の賜物」など、ペンテコステ派やカリスマ派に急接近するようになりました。
それまで危険、問題だとしていた教会や、ベニー・ヒンなどの癒やしや奇蹟の大集会に足が向くようになりました。
霊的な面が次第に開かれてくると、困ったことが起こりました。それまで翻弄されていた妻の病が分かり始め、見えてきたのです。
 分かり始めると対応ができ始めてきます。すると妻は表向きには「癒やされに行きたい」でしたが、私に対する対応の対応が
実家だった神奈川県への転居、つまり「家族の分断」「別居」という形、言わば家族の崩壊に至ることになったのです。
止めることも強制することもできず、私は受け入れることしかできませんでした。
家族がいなくなったマイホームのその階段の途中で涙が溢れたとき、それが階段の下の方まで流れていたのに驚きました。

そのような絶望的な中、遠隔地に居ようとも、いやしと求め続けて祈るうちに、カリスマ派に転身する出来事が起こりました。
そのきっかけは直に「神の言葉」を聞いたから。正確には聞いたのではありません。読んだのです。
「ええっ」と思われる方はぜひ、牧師である私本人からその時の様子を聞いてください。
その瞬間から私は聖霊なる神への信仰が確信に変わり、聖霊のバプテスマと新生を体験、完全に献身し今日に至っています。
もちろん、その日から神に「もう、普通の教会のような信仰の所には行けません。主よ、私の教会はどこですか?」と祈ると、
カリスマ派の教会「主の十字架」に導かれました。
すべては神の語りかける言葉を読んだ(聖書ではありませんでしたが)その日の一日内のことでした。



牧師 ケパ 中村の祈り

・・・・・もと小学校教師。その経験から【わかりやすく】をモットーに、誰にでも理解できるような福音が語れるように。
   ※わかりやすくは、完全に理解し要点までつかめていることであって、実は難しい。

・・・・・心の病、知的障害を持つ人を身近にした経験からも、牧師としてどんなお力になれるのか、祈りつつ共に歩ませていただきたい。

・・・・・福音派(日本キリスト教団・バプテスト)の経験が長く、聖霊のバプテスマや聖霊の賜物(異言・預言)等について、
   自らの体験から、これらを求める方の参考になりたいと思います



教会の歩み

2016年

7月16日(土)牧師夫妻がパトモス派遣の帰路、トランジットでイスタンブール国際空港でクーデター事件に遭遇。危険で身動きのとれない状態になり、空港機能がマヒ。翌17日の礼拝は信徒だけで守るハプニングが生じた。

7月1日 TrueVineのコンサートを勤労市民センターで行なった。

6月26日号で、教会の週報が300号に達した。

5月 7日(土)パウロ秋元牧師とゴスペルグループ「Gifts」を迎えて、船橋でのカリスマ聖会が31回目になった。

2015年

5月23日(土)礎の石孤児院のパネル展とチャリティーコンサートを、勤労市民センターで開催。

2013年

5月 末日 牧師夫妻が船橋市民になりました。

2月25日(月)3月の聖会前に、主に用いられることを願って会堂でGiftsのミニコンサートをすることを決定。

2月15日(金)牧師夫妻の船橋転居先が、主の示し通りの場所が示されて与えられた。夫妻は感謝と賛美の声をあげる。

2月 3日(日)関東賛美予選大会でピースフルが出場、臨在ある賛美をした。


2012年

 12月29日(土)船橋カリスマ聖会で他教会の牧師など、多くの方が出席され会が祝福される。
 11月25日(日)「新年度の歩み」として、船橋の会堂で第七礼拝視聴を含む、夜礼拝が始まる。
 10月 5日(金)パウロ秋元牧師によって開所式と船橋カリスマ聖会が行われる。この時に、ゼカリヤ4章6節「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」のみ言葉が与えられた。
9月29日(日)ケパ牧師手作りの、講壇十字架完成。会堂窓のレタリング文字が貼られ、み声新聞に紹介された。

8月 5日(日)記念すべき新会堂で第1回礼拝が捧げられました。

8月 1日(水)水曜礼拝後、新会堂へ引っ越し・・・・このことは「み声新聞」の記事に取り上げられました。

2011年

12月22日(木)TueVineを招き、勤労市民センターでジョイントコンサートをした。

10月30日(日)米田姉、東京アンテオケ教会から船橋キリストへ転入会。

6月10日(金)TrueVineの路上およびコンサートをする。

4月15日(金)震災慰問のGifts映像に感動。船橋カリスマ聖会での献金すべてを大震災に捧げる。

3月11日(金)東日本大震災。ゴスペルクラブ「Peaceful」の練習に向けての京葉高速走行中に大震災に見舞われる。この際の動画をYouTubeにアップした。

2月11日(金)船橋ゴスペルクラブによる「TrueVineコンサート」と「Peaceful」が発足しました。


2010年

12月31日(金)これまでの歩みを感謝し感謝祈祷会が開かれまた。

12月 3日(金)第3回目のカリスマ聖会が開かれました。

10月15日(金)第2回目のカリスマ聖会が開かれました。

10月 6日(水)「ケパとドルカス」のブログがこの日から始まりました。

9月19日(日)船橋キリスト教会の第1回目の週報が、この日から発行され続けました。

8月20日(金)第1回のカリスマ聖会が開かれ、秋元牧師は、この教会への特別な祝福を語りました。

8月15日(日)ケパ中村牧師夫妻は初めて船橋で礼拝を始めました。

8月 8日(日)東京アンテオケ教会において、パウロ秋元牧師からケパ中村牧師夫妻が、

船橋の地に牧師として按手式が行われました。

その日の午後、船橋市役所を訪ねてケパ中村牧師は、感謝のお祈りを捧げました。




私たちはゴスペルクラブ゙「Peaceful」を応援します

私たちの教会は聖書と三位一体の神を信じる教会です。モルモン教、エホバの証人、統一教会とは一切
関わり有りません